粥彦

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2014年 09月 24日

尾形亀之助之詩之事  わざと間違える


尾形亀之助之詩之事


もくじ


はじめます

1 わざと間違える

2 心よくなまける

3 雨の楽隊

4 私と私

5 蠅と私

6 昼ちよつと前

7 謎 黄色 

まとめられないです

+++



1 わざと間違える

 これから亀さんの詩について語っていくわけですが、最初に私の考える「詩」の定義を述べておくことにします。

 「詩」とは、「言葉によって、読む者に幻影を抱かせ、ここではないどこかへ足を踏み入れさせる超越的な試み」であると考えています。 (といっても、今思いついたのですが) つまり、「読み手」が詩人の言葉を受け取って、「ちょっと別の世界に連れて行かれた気がする!」と思えば、その詩は、素晴らしいということです。

 「詩」の価値を判定するのはもっぱら「読み手」にかかっているといえます。 (ちなみに「書き手」は、書き終えた瞬間に役目を終えている気がします) ですから、どんなに有名な詩人の作品であっても、「読み手」がそれに「詩」を感じないことはしばしばあることです。それは、それで仕方がありません。「読み手」は、「詩」をよく感じさせてくれる自分にとって打率の高い詩人を見つけ出せばいいわけです。

 さて、亀さんの処女詩集『色ガラスの街』は、出だしから脱力感、いや超越感が漂っているように思います。




序の一 りんてん機とアルコポン


× りんてん機は印刷機械です
× アルコポンはナルコポン(麻酔薬)の間違ひです

私はこの夏頃から詩集を出版したいと思つてゐました そして 十月の始めには出来上がるやうにと思つてゐたので 逢う人毎に「秋には詩集を出す」と言つてゐました 十月になつてしまつたと思つてゐるうちに十二月が近くになりました それでも私はまだ 雑誌の形ででもよいと思つてゐるのです

×

そしてそんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのです

で 今私はここで小学生の頃 まはれ右を間違へたときのことを再び思ひ出します
    一千九百二十五年十一月

(原文では、本文2行目「アルコポン」の「ア」、「ナルコポン」の「ナ」、7行目「まはれ右」に傍点あり)


 いきなり間違いの訂正から詩集が始まります。これは、前代未聞ではないでしょうか。また、最後に「まはれ右」を間違えたことを思い 出しています。間違えてはいけないのに、思わず間違えてしまったのでしょうか。まあ、あの亀さんのことですから、わざと間違えたに決まっています。そうやって、しょっぱなから大事な処女詩集の構成にヒビを入れていきます。イタズラ好きの亀さんならやりそうなことです。

 
 内容を見ていきますと、「りんてん機」は、この詩集を生み出す機械です。それと並列される「アルコポン」、いや「ナルコポン(麻酔薬)」(ああ、ややこしい)は、『色ガラスの町』の隠喩と捉えることが可能です。亀さんの複雑な変化球を読み解くと、この詩集自体が、ナルコポンの役目を果たすということなのです。作品の一つひとつが、危ない薬だというのでしょう。で、簡潔いうと、「まあ、読めばトリップできるよ」と亀さんはおっしゃっているのです。

 前言を撤回することになりますが、もしかすると「わざと間違えた」のではなく、自らの詩を何度も読んでいるうちに「ラリってしまって間違えた」のかもしれません。なんだか、私自身も今書いていることの全てが間違っている気がしてきました。「間違いがない」という当たり前の前提が最初にひっくり返されたまま、この詩集は始まるのです。ここにも知性的な批評に肩すかしをくらわせる構造が仕組まれているといえましょう。

 そろそろ次に行った方が良さそうです。


















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by kayu_hiko | 2014-09-24 10:38 | 尾形亀之助 の こと | Comments(0)


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